プロレススーパースター列伝
グレッグ・バレンタイン&ルイ・ディレイ
税込5,184円(本体価格4,800円)■100分■品番SPD-1522
2012年2月18日発売
プロレスの歴史を作って来たスーパースターたち
往年の勇士と現在の素顔を追った感動のドキュメント

今回は、グレッグ・バレンタインとルイ・ディレイの二人。
グレッグ・バレンタインも新日本で活躍して有名だが、父親のジョニー・バレンタインも東京プロレスの猪木との死闘で有名!
今回のインタビューでも「初来日の思い出」や「父親との関係」が語られている。
試合ではないがリング上でドリー・ファンクとのにらみ合うシーンやジョニー・バレンタインの試合も少しだが収録してある。
ルイ・ディレイはインタビューの中でカーペンティア、バディー・ロジャース、ダニー・ホッジの事が語られており興味深い。

※この作品は、1997年よりサムライTVにて放送された番組をDVD化したものです。
紹介されている選手の年齢、肩書き、団体名等は、当時のものですので、ご了承下さい。


〈収録選手〉

●グレッグ・バレンタイン
父親譲りの実力ファイター

父である妖鬼ジョニ・バレンタイン譲りの毒針エルボー攻撃を得意とし、新日本プロレスの常連外人として藤波、長州らと激闘を繰り広げたグレッグ・バレンタイン。

1950年9月10日、ワシントン州シアトルに生まれる。
1970年、大学を辞めレスラーになることを決意。
カルガリーのスチュ・ハートの下で修行を積み、7月、アンジェロ・モスカを相手にデビュー。

半年後デトロイトに移り、ザ・シークのトレーニングを受ける。
翌1971年から74年にかけ、ドン・ファーゴとファーゴブラザースを結成し、ジョニー・ファーゴを名乗る。

その後単身フロリダに転戦しグレッグ・バレンタインに改名。
1975年10月に飛行機事故で父ジョニーが引退し、息子であることを正式に表明した。

76年、ミッドアトランティック地区でリック・フレアーとタッグを結成。
金髪のゴージャスコンビとして売り出し世界タッグ王座を奪取。

78年、WWFに進出。王者バックランドの好敵手として活躍。
その後はNWAとWWFをまたにかけトップレスラーとして活躍を続けた。
84年以後はWWFマットに定着。
インターコッチネンタル王座や世界タッグ王座を獲得。
91年に離脱しその後はインディ団体を転戦。

2004年WWF殿堂入りを果たした。


●ルイ・ティレイ

幸せのエンジェルと共に

「フランスの流血王」と異名を持ち。一度も来日しなかったが、日本においては1960年代から70年代にかけ「まだ見ぬ強豪」のリストに常にランクされていたルイ・ティレイ。

1950年代後半はカナダのオタワ、モントリオール、ケベックシティを中心とするサーキットで中盤に甘んじていたが、1960年に南部ジョージア、テネシー、テキサス、カロライナ地区に南下してから本領を発揮。
南部各州のシングル、タッグ王座を総なめにした。

1965年の6月から11月にかけては、当時テキサス州をサーキット中であった若き日(23歳)のアントニオ猪木とライバル関係にあり、タッグで34回、シングルで6回の対戦記録が残っている。
シングルは1勝4敗2引き分けと劣勢だったが、最後の対戦となった1965年11月2日、ダラスにおける対戦では隠し持ったパイプ凶器で猪木を突き、遂にフォール勝ちをおさめて執念を見せた。

1975年にはロサンゼルスでレス・ソントンを破りアメリカス・ヘビー級、同じくジョン・トロスとのコンビでアメリカス・タッグ王座の2冠を奪取し、新日本への来日も噂されたが土壇場の負傷で実現しなかった。

デスマッチにも強い典型的な流血ファイターとして、黄金時代のアメリカ・マットを彩った名脇役の一人である。