プロレス・スーパースター列伝
アレックス・スミルノフ&ラウル・マタ
税込5,184円(本体価格4,800円)■102分■品番SPD-1517
2011年7月20日発売
プロレスの歴史を作って来たスーパースターたち
往年の勇士と現在の素顔を追った感動のドキュメント

今回はアレックス・スミルノフとラウル・マタの二人。
二人共に来日経験はあるが、日本のプロレスファンに馴染み深いのは、やはりアレックス・スミルノフ。国際、全日本、新日本と3団体に参戦したが、一番印象深いのは、国際マットだろう。
ラッシャー木村との死闘は、ファンの記憶に残っている。
スミルノフの「何故ロシアンレスラーになったか?」「エドワード・カーペンティアとの関係」のインタビューは興味深い。
ラウル・マタも新日本、旧U.W.F.に参戦。意外なレスラーの名前が出てくるのは面白い。

※この作品は、1997年よりサムライTVにて放送された番組をDVD化したものです。
紹介されている選手の年齢、肩書き、団体名等は、当時のものですので、ご了承下さい。


〈収録選手〉

●アレックス・スミルノフ
フランス系ロシア人!? 流血怪人

ロシアンギミックの代表選手として活躍し、日本でも流血怪人の異名とともに国際プロレスの常連として親しまれたアレックス・スミルノフ。

高校時代よりレスリングを始め、エドーワード・カーペンティアのコーチを受けて1969年にプロレス入り。

1976年、イワン・コロフに勧められてアレックス・スミルノフに変身。
ロシアン・チェーン・デスマッチでの悪役ぶりが人気を呼び、サンフランシスコを皮切りに各地で活躍した。

1977年9月。国際プロレスに初登場。
ラッシャー木村の好敵手としてエース外人となり、木村の連戦防衛記録を27でストップさせるなど、IWA王座を巡って何度も名勝負を繰り広げた。

国際プロレスが消滅した後は新日本との激しい争奪戦の末に全日本プロレスに出場。
1981年10月、全日初登場でジャンボ鶴田のUN王座に挑戦し、以後もトップヒールの一人として活躍した。

アメリカではNWA地区を中心にイワン・コロフらとのタッグチームで暴れ回り、1984年、WWFの全米進出サーキットに招かれ多き名存在感を示した。

1988年に引退。


●ラウル・マタ
コンクリートに生きるメキシコの鷹

70年代にメキシコの鷹のニックネームでロサンゼルス地区を中心に活躍したラウル・マタ。
メキシカンライトヘビー級王座を通算
3年以上に渡り保持するという、王座防衛記録を残した。

1960年代にメキシコEMLLマットデビュー。
1968年11月、ドクトル・ワグナーを破り空位だったメキシカンライトヘビー級王座を奪取し初戴冠。

1972年6月。エンリケ・ベラに破れてタイトルを失うとロサンゼルス地区に進出。
EMLL時代の仲間であるドリー・ディクソン、レイ・メンドーサと組みアメリカス・タッグ王者となった。

さらに1973年末から76年にかけ、マタはビクター・リベラやチャボ・ゲレロ、実弟カルロス・マタとのタッグでアメリカス・タッグ王座を5度戴冠。通算7度の王座に輝き、メキシコの鷹のニックネームとともに絶大な人気を誇った。

1977年12月、メキシコに戻りエル・ハルコンを破りメキシカン・ヘビー級王座を奪取。

その後もロサンゼルスとメキシコをまたに掛けて活躍し、1980年1月にはアルフォンソ・ダンテスを下しNWAライトヘビー級王座を1年近く保持した。

引退間近の1985年、カール・ゴッチの紹介で第一次U.W.Fに来日を果たした。